2千年前の簡牘が解き明かす秦王朝の歴史 当時は女性も財産相続

2千年前の簡牘が解き明かす秦王朝の歴史 当時は女性も財産相続© 新華社

 脱色処理後の里耶秦簡。(資料写真、長沙=新華社配信)

 【新華社長沙4月23日】2千年以上前の中国・秦王朝時代には女性も財産を相続でき、男性と同等の社会的責任を担っていた可能性があることが、考古学者の最新の研究で分かった。中国史上で最初に皇帝を称した始皇帝と彼が統治した秦帝国の記録は極めて少ないが、湖南省・里耶(りや)古城遺跡で出土した秦代の簡牘(かんどく、文字を記した竹や木の札)群「里耶秦簡」に関する新たな研究成果は秦の歴史を解明するかもしれない。

 

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 12日、里耶古城遺跡出土の「更名詔書」木牘。(長沙=新華社記者/張玉潔)

 出土簡牘の1枚には、始皇35(紀元前212)年に「広」という名の父親が役所に6万銭と奴婢(ぬひ)6人を含む人と物品、金銭合計11種類の財産を娘の「胡」に分け与える登記をしたと記されていた。この簡牘は「沈」という役所の長官が発行した証明書とされる。

 

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 12日、湖南省文物考古研究院で簡牘を研究する張春竜(ちょう・しゅんりゅう)研究員。(長沙=新華社記者/張玉潔)

 「6万銭は当時の成人男性20年分の収入に相当する」。里耶秦簡を発掘した一人、湖南省文物考古研究院の張春竜(ちょう・しゅんりゅう)研究員は、里耶秦簡には寡婦が独力で生計を立てたり、女性が男性と同じように各種労働に参加していた記録もあるとし、これらは秦代に男女が同等の社会的責任を担っていたことを示していると説明した。

 

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 8日、里耶秦簡博物館で、秦簡発掘当時の写真を眺める里耶古城遺跡1号井戸の発掘責任者、竜京沙(りゅう・けいさ)氏。(長沙=新華社記者/翟翔)

 里耶古城遺跡は湖南省湘西トゥチャ族ミャオ族自治州竜山県にあり、2002年に1号井戸から秦簡3万6千枚余りが出土した。主に秦が全国を統一する前年から滅亡する前年までの洞庭郡遷陵県の公文書で、人口や物産、賦税、郵便、司法、医薬などの内容に及び、文字は20万字を超える。

 

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 里耶古城遺跡出土の「第1-12号簡」を解読する張春竜(ちょう・しゅんりゅう)研究員。陽陵の兵士12人の借金に関する内容が記されている。(2017年12月20日撮影、長沙=新華社配信)

 これら秦簡は、始皇帝が国を統治し、基層社会の行政の正常な運営を保証していたことを記録しており、兵馬俑に次ぐ秦代考古学の重要発見と見なされている。

 里耶古城遺跡1号井戸の発掘で責任者を務めた考古学者の竜京沙(りゅう・けいさ)氏は、里耶秦簡が秦代に各種公文書が円滑に伝送され、物資の徴発と運用が効率化かつ迅速に行われていたこと示していると指摘。官吏の人事管理制度も詳細に記されており、始皇帝の時代に上から下への何層にもわたる監督考課システムが形成されたことを説明していると述べた。

 

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 8日、秦簡が出土した里耶古城遺跡1号井戸。(長沙=新華社記者/翟翔)

 里耶秦簡博物館の周東征(しゅう・と うせい)館長は「秦が中央集権体制の下、地方で実施した郡県制は画期的な制度で、中国史における重要な貢献の一つだった。歴代王朝も踏襲した」と説明。秦代に設置された郡の数と名称にはさまざまな説があるが、簡牘に記された「洞庭郡」はこれまでの文献には見当たらず、秦代の行政区画を再検討する新たな契機になったと語った。

 

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 里耶秦簡発掘当時の様子。(資料写真、長沙=新華社配信/劉徳靖)

 取材を受けた専門家は、秦王朝では高度な権力集中の下で公用者の移動に便宜を与える「郵駅」システムが完備され、通信や道路が未発達な当時でも中央の政令文書が辺境地域まで直接届けられたことが里耶秦簡から見て取れると述べた。

 

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 里耶秦簡出土時の様子。(資料写真、長沙=新華社配信/劉徳靖)

 里耶秦簡博物館に展示されている「8-1481号簡」には「敢言之上計」などの文字があり、現在の年度総括に相当する。周館長は「里耶秦簡の政務公文書には、地方官吏の成績評価に関する記録が数多くある。例えば、郡守と県令は毎年、郡県の統治状況を朝廷に報告する必要があり、朝廷は報告を基に賞罰を行った」と説明。秦が厳格な官吏考課制度を実施し、官吏の成績を俸禄や昇進などに連動させていたことが分かると語った。

 

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 里耶古城遺跡出土の簡牘。官吏が食事の際に提示した「食券」とされる。(資料写真、長沙=新華社配信/劉徳靖)

 同博物館で見た簡牘には、官吏の出勤や任命、転勤など多岐にわたる記録が記されていた。官吏の担当職務と任命時期を記録した「履歴書」や、勤務時間と完成させた仕事を記録した「考勤表」などもあった。

 

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 里耶秦簡発掘当時の様子。(資料写真、長沙=新華社配信/劉徳靖)

 里耶秦簡は現在、半数を超える資料が公開されている。張研究員は「秦王朝の統一と統治は容易ではなかった。それぞれが整然と記された簡牘は、当時の官吏の日常的な業務だったかもしれないが、現在においては確かに奇跡といえる」と語った。(記者/張玉潔、林建傑、鞠銀河、翟翔)

 

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 里耶古城遺跡出土の「第1-12号簡」を解読する張春竜(ちょう・しゅんりゅう)研究員。陽陵の兵士12人の借金に関する内容が記されている。(2017年12月20日撮影、長沙=新華社配信)

 

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 16日、里耶秦簡博物館に展示されている里耶秦簡「かけ算九九表」。(長沙=新華社記者/翟翔)